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今コロナウイルスで人の自由は色々な方法制限されています。アメリカやヨーロッパでは町がロックダウンされたり、外出禁止になっている国も少なくありません。フィンランドも首都地域がほぼ完全に封鎖され、人の行動が厳しく制限されていました。
そこで思ったのは、今までの緊急事態にも何か制限あったのでしょうか?ということです。そして見つけたのは戦争時代のときに実施されていたダンス禁止法です。
1939年から1944年の間に踊ったら罰金に
1900年代のフィンランド人は踊るのがとても好きでした。踊りのイベントや踊るための集まりがしょっちゅう開かれ、パーティーがあれば必ず踊るという習慣がありました。踊り専用の「tanssilava」(ダンスホール)という場所も多かったようです。戦争時代だからこそ、一夜だけでも戦争を忘れて踊りたいと思っていた人が多かった。戦争に参加していた軍隊の男性たちも休みにはダンスパーティーに参加したい気持ちを持っていた人がいたでしょう。
そして、第二次世界大戦の開始から3ヶ月目にあたる1939年11月にソビエト連邦とフィンランドとの間で冬戦争が始まり、同年12月7日に踊り禁止という法律が有効となりました。戦争が1940年に終わりを迎えたのですが、踊り禁止は解除されませんでした。第二次世界戦争に参加した国の中でこのような禁止法を実施したのはフィンランドのみ。
フィンランドは踊り禁止になっていた期間の間、結婚式での踊り以外、一切踊ってはダメでした。結婚式でも新郎新婦が一つのワルツが許されていただけ。法律を破った人には罰金、もしくは懲役の罰が命じられました。ダンスホールで踊ることができないようにバラ線が巻かれていました。
法律を破ることが多かった
若いフィンランド人の多くはダンスが好きすぎてたまりませんでした。踊ることが唯一の楽しみになっていて、友達と遊ぶ機会にもなっていました。結婚相手探しもダンスパーティーで行われることが多かったようです。そして戦争時代が長く、人生がいつ終わるかわからない状況でした。
踊り禁止の法律を破って、人の家や古い納屋などで密かにダンスパーティーがよく開かれていました。朝の3〜4時まで続いたパーティーは歌を歌ったり、楽器を弾いたりして、みんなで踊っていたいようです。地域によっては警察が見回りをしていたことがあったらしいのですが、とても厳しい地域もあったようです。踊っている最中に銃を持った警察の集団が入ってくることがよくあったそう。警察が入ってきたら、若者たちは窓やドアから必死に逃げることもありました。
1942〜1944年の間だけで、1万5000人ほどのフィンランド人が踊り禁止の法律を破ることで罰が命じられました。研究によると、この多くは未成年の女性でした。
罰を避けるように違う形での踊りに走った人も多かったよう。踊りの授業が許されていたので、ダンスパーティーができない若者がダンスレッスンを受け始めました。踊りを見ることは、許されていたので芸術としての踊りがとても人気を集めていた。研究家によると、フィンランドの戦争時代の映画の中ではダンスシーンが多く、その理由はまさに踊りが禁止されていたからです。
踊り禁止が解除されたのは1944年の秋でしたが、レストランやバーでの踊りは1948年まで法律違法のままでした。禁止だったことの影響からなのか、解除後ダンスが以前よりも人気になりました。
さいごに
フィンランドの踊り禁止の法律は厳しく、当時の国民にとてもつらい思い出になっています。特に若い人には「今しかない」と思っている人も多く、法律を破ってでも集まって踊りたいと思っていた人が多かったようです。人の安全のための禁止でしたが、国民の多くにはその理由が理解できなかったのです。
今のコロナ状況でも、ロックダウンなどに反してパーティーや集まりをしたり、「出かけないでください」と言われても理由なく出かけてしまう人が多くいます。その中で、フィンランドの踊り禁止のように、制限の理由をわかっていない人も多いのではないかと思います。
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